クリスマスを彩るサンタを探りにトルコへ出発

クリスマスにつきもののサンタクロースの正体を確かめようと旅をしようと思った瞬間、サンタクロースの世界は謎に満ちた辺境であることに気づきました。探検とは、常識と非常識の隙間にあるのです。
私はサンタクロースのことをどれだけ知っているのか。
これまで常識だと思っていたことは本当に正しいのだろうか?
それを確かめるために旅に出ることにしました。
まずは、トルコに行ったのを皮切りに、イタリア、オランダ、アメリカ、フィンランドと世界の各地を巡りました。
それでは満足できずに、同じ年の冬にオランダを再度訪ね、オーストリアにも足を運びました。
サンタクロースなどいないと知りながら、いて欲しいと願っている大人の一人として旅を続けました。
聖ニコラウスはどのようにしてサンタになったのかや、その歴史的背景を調べて、日本にクリスマスが根付いて理由はもちろん、日本人にとってサンタとはどのような存在なのかを探る鍵も見つけ出せるはずです。
聖ニコラウスは3世紀後半に、地中海に面したトルコのパタラという町でキリスト教徒の両親のもとに生まれました。その後に、ミュラで司教になったとされています。
パタラやミュラは南トルコにあり、温暖で雪や氷とは無縁の土地です。
サンタクロースと聖ニコラウスには本当に接点があるのかさえ、自信がなくなったきます。
トルコは伝統的にイスラム教徒の国です。寺院はどれも古く、数百年前に遡るものもありそうです。
トルコで本当に、キリスト教の聖人のことを知ることができるのだろうか。うかつに誰かに聞いたら、宗教の違いから不快な思いをさせることになるかもしれません。
クリスマスプレゼント2014

サンタクロースを求めて旅をする

真剣にサンタクロースを信じようとする子どもからすればちょっと迷惑な話かもしれません。
サンタクロースを信じているのはむしろ大人の方なのではないでしょうか。子供に信じ込ませて、そしていっしょに夢を見ようとしているのです。
大人にとってサンタとは、信じていないくせに信じたいと願っている存在なのです。
これまでわたしはサンタを子供のためのものだと思い込むあまり、真剣に考えていなかった。冷静に考えてみれば、大人になった今でもその存在価値は大きく、強い印象を持ち続けているのです。
なぜ私たちはサンタクロースを必要としているのでしょうか。
日本人にとってクリスマスとは何なのでしょう?
私は、以前からサンタクロースのことを書いた本を手当たり次第読んでいました。
調べると調べるほど、サンタクロースやクリスマスはキリスト教だけでは説明ができないことがわかってきました。
世界各地にある古くからある伝わる祝祭や民族行事との接点もありそうです。
もし、旅に出たら何か手がかりをつかめるのではないかと思った。
いや、それ以上にサンタを訪ねて旅をすることは子供の頃の夢でもありました。
私はサンタクロースの世界を探検できるのではないかと真剣に考えてしまいました。
サンタクロースの探検といえば、大袈裟に言っているようですが、生死を賭けた旅に出ることばかりが探検ではないです。
そんなことはむしろ日常で感じた何気ない疑問から始まります。
日常生活の中に、探検すべき未知が潜んでいます。

クリスマスイブはホテルよレストランで予約が一杯

サンタがいないとわかっているのに、いると言った矛盾した言動はどこから来たのでしょうか。
サンタがいないことを知ったショックの揺り戻しだろうか。
振り返ってみると、妹を起こさないように母が私に合図した仕草が心の中にひっかかっていました。
母の振舞いを思い出し、私はサンタのことは黙っておいた方がいいのだろうと悟りました。
もう一つの世界があることに感づいた瞬間でもありました。
単純にいえば、これは大人の世界ということかもしれません。
サンタクロースを信じる子供の世界とは違う、知らない世界が存在しているわけですね。
毎年クリスマスが来て大人たちは子供にウソをついているのです。
子どもはやがてサンタクロースがいないことを知る。
夢から覚め、現実の世界の扉が開くような出来事です。
大人になるための試練であり、通過儀礼でもあります。
誰もが、感じ取るようにクリスマスに反発心さえ抱くようになるのだ。
それは世の中の浮ついた風潮への嫌気でもありました。
デパートの店先がイルミネーションで飾られ、恋人はサンタクロースという流行歌が街に流れ始めると私は反発しました。
クリスマスイブの日はレストランだけでなく、ホテルの予約もいっぱいになるのです。
クリスマスってそんな日だっけ?
プレゼントやケーキなど、子どもの時に楽しく感じていたことが不純なものにさえ映りました。
しかし、人は親になると不思議な行動をとります。反発心はどこかいったのか、再び自分の子供にサンタを教え、存在を信じこませるのです。

両親がサンタクロースの正体だった

友人とサンタクロースについて話をしていましたが、その存在については信じる気持ちは薄らぎ、疑いへと変わっていきました。
そして、その年もまたクリスマスの日が来ました。
朝方、わたしはかすかな物音で目覚めました。
扉が開き、部屋に入ってきたのは何と母だったのです。
母は私と妹のベッドにそっとプレゼントを置きました。
私が起きていたことに気がつくと、母は人差し指を唇に当てて、「だまってね!しっ~」と合図をして静かに部屋を出ていきました。
私は現実を目の当たりにしたのです。
やっぱりサンタクロースはいなかったのです。
夢心地の中でゆっくり考え込んで、両親はなぜ嘘をついたのだろうか。
ひた隠しにしなければならなかったのは、何か特別な理由があるからではないか。
起き上がってプレゼントの中身を開きました。
包装紙を破る音を聞き、妹も目を覚ましました。
ひた隠しにしなければいけなかったのは、何か特別な理由があるからではないだろうか。
起き上がってプレゼントの中身を開きました。包装紙を破る音を聞き、妹も目を覚ましました。
クリスマスプレゼントだ!」妹は無邪気に微笑みました。
よろこぶ妹を前に、私は話かけました。
「今年もサンタさんが来たね」
私は一体何を言い出したのだろうか。さっき、サンタがいないことを確かめたばかりであるのに。自分の言葉が信じられなかったよ。
別に、妹をだまそうと思った訳ではない。しかし、本当のことを伝える気持ちにはなれなかったのです。

サンタクロースがいないと友人が激白

サンタクロースはなぜ日本に来るのでしょうか。
私が慣れ親しんだサンタクロースは本当にキリスト教の聖人だったのでしょうか。むしろ、クリスマスメッセージカードの文面から思い浮かぶような妖精に近いかもしれません。
いずれにせよ、サンタクロースには二面性があるのです。
いや、不思議なのはそれだけではありません。
サンタを信じていた子供が、サンタがいないという現実に直面する時にも見え隠れする。
クリスマスが近いある日のことですが、近所に住む友人が得意げに話しました。
「サンタクロースはいないんだぜ。プレゼントを買って枕元に置いていくのは・・・・」
それは私には信じがたい話でありました。
しかし、友人はたたみかけるように言いました。
「雪が降らないと、ソリは動かないんじゃないかな?」
「家には煙突がないし、ドアにも鍵がかかっているよ。サンタはどうやって入って来られるのか?」
私は反論もできないまま、もどかしさを感じていました。
きっとうまい方法があるに違いない。心の中で呟きながらも不安になっていました。
家に帰ってさっそく母ちゃんに尋ねました。
「大丈夫よ、サンタさんはちゃんといるわよ。」
母の言葉にわたしは胸をなでおろしました。
本当は両親がサンタクロースだというのはつじつまが合わないのです。
欲しいプレゼントをお願いしたのはサンタクロースなのだし、父も母もいっしょに祈ってくれたのではないでしょうか。
再び、友人と話をしてみたが、信じる気持ちは薄らぎ、疑いへと変わっていきました。

クリスマスメッセージの申し込み

とある町内会の福引でもらった申し込み用紙に応募すれば、クリスマスに北欧のサンタクロースから手紙が届くというので興味本位で申し込んでみました。
一通のエアメールが届いたのはクリスマスの直前でした。サンタクロースのイラストが描かれた楽しそうな封筒です。
手紙には次のような事が書かれていました。
「2014年のクリスマスプレゼントはおもちゃではありません。キャンディでもありません。目には見えなくて、手では持てないような大きなもの。それは春です。寒い冬の次は、暖かい春がやってきます。私たちは、あなた方が希望しているような春がやって来ることを約束します。」
春には、鉛色の空が晴れ渡り、固く凍りついた川や地面は溶けて、過ごしやすくなります。
暖かくなるのがとても待ち遠しいですね。
クリスマスプレゼントに春を贈るという現実離れしたメッセージは極北
にいる神秘的な存在を思わせます。
しかし、イエス・キリストについては何も書かれていないし、キリスト教の聖人らしさ伝わってきません。子供の頃から感じていたサンタクロースの不思議な存在については解決していません。
聖ニコラウスはキリスト教の司教です、
クリスマスの日に、私にもサンタからプレゼントが届けられました。
私はキリスト教の信者ではありませんので、教会へ行くことも特別に祈りを捧げることもありませんでした。
気前のいい人だとしか思いませんけど、納得はしていません。
キリスト教が根づいているとはいえない日本で、サンタクロースだけは存在感があるのです。

サンタクロースの出身地はアジア?

本当に実在したキリスト教の聖人がサンタクロースのモデルだったことを知り、サンタクロースがクリスマスにやって来る意味を今にしてようやく理解できるような気がしました。
クリスマスは預言者イエス・キリストの生誕日だとされているからです。
では3世紀の聖ニコラウスはいったいどんな人物だったのでしょうか。
クリスマスに突然やってきて、いろんな人々に分け隔てなくプレゼントを贈る聖人だったのか。白い髭を生やしていたのでしょうか。
そして彼は太っていたのでしょうか。
サンタクロース取扱いマップを見ると、日本の民間信仰に関して奇妙なことが書かれていました。
布袋和尚がサンタクロースの役割をしていて、それは神道の神の中の一人で、悪い子供を毎日監視しているそうです。
布袋とサンタクロースに共通点があるのか疑問がありますが、大きくせり出した腹や背負っている白い袋などはそれなりの共通したイメージがあります。
この疑問を調査するために、グリーンランドに行ってみることにしました。
そこは、陸地がほとんど万年雪に閉ざされて、トナカイが生息する自然環境でまさにサンタの土地というにふさわしいのです。
トナカイを寄せ付けない北極点よりも、グリーンランドの方がサンタのイメージに合致するように思えました。
しかし、よくわからないこともたくさん発見できました。
グリーンランドに住む原住民のイヌイットはアジア人のような風貌をしているのです。
サンタクロースは欧米で生まれたという説が一般的だったので、北欧出身の老人だあろうこととは夢にも思わなかったです。

サンタクロース実在の説には文化的背景がある

サンタクロースはどこに住んでいるのか、それはグリーンランド以外にも考えられるようです。
多くの人は画家が描いたイラストの影響を受けて北極点だと考えているみたいです。
フィンランドの人々はサンタの生活はトナカイと無縁ではないと思い、人里離れたラップランドの山中だと言っています。
各地方の言い分にはその地方の文化的な背景が見いだせるのです。
サンタクロースのイメージは世界のどこかの文化からインスピレーションを受けているのもそれません。
たとえ、架空の存在だったとしても、何がしらの足跡が残っているかもしれません。
人は、小説や神話、伝説の背景を世界各地を訪ねて確かめてみるのですね。
物語と現実世界の接点を見つけ出すことで、クリスマスの物語の本当の意味や価値を理解できることを知りました。
きっと、サンタクロースにも種があるはずです。
案の定、サンタクロースにも実在のモデルがいたそうです。
紀元前3~4世紀に現在のトルコ領に聖ニコラウスというキリスト教の司教が住んでいました。
実は彼こそが実在していたサンタクロースということなのです。
モデルが存在していたことは知ったいたけど、サンタクロースについて深く考えてみたことはなかったのです。
なぜ、クリスマスにやってくるのかも分からないままで、誰かが作りだした登場人物だと思っていたのです。
おそらく、子どもの頃に「いるか」「いないか」や「本当か」「嘘か」くらいは考えたことはあったかもしれません。

サンタクロースがいるグリーンランドと地図を買ってみた

グリーンランドは現在、デンマーク領に属しています。ヨーロッパの地図が国ごとに並べられた書店の棚へ行き、目当ての地図を探しました。すると、詳細なグリーンランドの地図が何食わぬ顔で置かれているのです。俺たちは小躍りしてそれを脇に抱えて、会計に向かいました。
会計の列に加わろうとした時、何気なく平台の上に置かれた別の地図が目に留まりました。「サンタクロースのマップ」サンタクロースの地図?
子ども向けのものだろうか。興味本位で開いてみました。世界地図に美しい図版がレイアウトされ、サンタクロースに属する歴史や情報が網羅されています。
試しにグリーンランドを見ると、サンタ宛ての手紙が毎年、世界各地
から送られてくると書かれています。
ヨーロッパではサンタがグリーンランドに住んでいると考えている人が多いのだといわれています。
グリーンランドの旅を前にしていた私は、サンタとの接点がおもしろそうに思えました。
目当ての地形図が手に入って気をよくしていたこともあり、それもいっしょに購入しました。
書店から出て近くの喫茶店に行きました。
そこは薄暗い店内で、中央にスポットライトを浴びたカウンターが浮かび上がっています。
そこには世界各地のワインを背に女性のバーテンダーがグラスを磨いていました。
店には数人の客がいるだけで、彼らの話い声がさざ波のように聞こえます。
私は白ワインを注文し、テーブル席へと移動した。
一息ついてクリスマス物語に出てくるサンタクロースでお馴染みのグリーンランドの地形図を円卓に広げてみました。

無駄を生み出すクリスマスプレゼント

ギフトカードを発行する際、12か月や18か月など有効期限を決める。期限が切れたら残額はすべて慈善活動は贈り手が選んでもいいし、カードに明記してもいいのです。
未使用の問題をより利己主義的に解決するのが、現金払い戻しが可能なギフトカードです。
ギフトカードの残額が宙に浮いている理由の一つは、その店で買いたいものがないからです。
買いたいものがなければ、自分のお金を足してまで全額を使いきろうとは思いません。これに関してカリフォルニア州は新しい法律をつくり、小売業者はギフトカードの残額が10ドル未満の場合は換金に応じなければならなくなった。
世界全体で、私たちはクリスマスシーズンに毎年約2000億ドルを使い、毎年250億ドル分の価値を破壊しています。
クリスマスプレゼントをやめて、その分のお金で先進国は善意のショッピングモールで買い物をすればいいというのは、さすがに非現実的な話です。
しかし、もっと慎重に贈り物を選び、たとえば友人や家族を通して贈り物の一部が社会のためになるように考えれば、的はずれな贈り物から生まれるムダを減らして、さらには社会のためになるいくらかの寄付ができる。
それなら十分に現実的ではないか。贈り物に費やす10億ドルにつき2、3億ドルの寄付が集まるだろう。
みなさんが協力してくれれば、私は社会改革の理想を掲げて世界を飛び回る経済学者の仲間入りをする。
裕福な先進国にとりついているお化け、それは無駄を生み出すクリスマスプレゼントというお化けです。
贈り物をするすべての人が手を取り合う。
失うものは死重損失だけです。そして世界はもっと幸せな場所になります。